昨日の昼まで、とても調子が良かったというのに、雨の降り出しとともに、あれよあれよと坂をころがって、今日は全くうごけなかった。
ほんとうは、明日から1泊2日で愛知のおばあちゃんに会いに行く予定だったのだけれど、こんな状態じゃ新幹線に乗れない。
前までだったら、歯を食いしばってでも行ったと思うのだけれど、今のわたしは、自分に鞭を打たないことを選んだ。
お父さんとお母さんに事情を説明して、わたしの愛知行きは、キャンセルさせてもらった。
怒られるかな、とか、失望されるかな、とか思ったけれど、勇気をもって、かくかくしかじか、気持ちが落ち込んでしまって動けません、ごめんなさい、と、伝えた。
すると2人からは、わかったよ、ごはんと睡眠と水分だけはしっかり摂ってね、謝らなくていいんだよ、と、言われた。
こんなふうに言ってもらえるなんて、思ってもみなかったから、なんだかとても安心した。
おばあちゃんには、ちゃんと元気なときに、会いに行こうと思った。
そうやって今日、ずっと動けずにいて、寝たり起きたりを繰り返して、この時間になった。
朝のお母さんとお父さんのことばで、すこし気持ちが持ち直したものの、まだこころのどこかが、ずっとモヤモヤしていた。
同居人氏2はお仕事でいなくて、同居人氏1はずっとおうちで仕事をしていたのだけれど、わたしの様子を見て、声をかけてくれた。
なんにもつらい思いをしなくていいんだよ。
と言われて、
なにかつらいことがある?
と問われて、
こころのなかにあったモヤモヤを、訥々と、言葉にしてみた。
同居人氏1は、それを、ふんふん、と聞いてくれて、わたしに、
そこまで向き合わなくていいんだよ。
もっと自由でいていいんだよ。
0か100かじゃなくて、いいんだよ。
と、言ってくれた。
そう言われると、自分がいかに頑なになっていたかがわかって、こころのモヤモヤが、すぅっと晴れていった。
そうか。
もっと、気軽で、身軽で、いていいんだな、と、思えた。
愛知に行かない判断も、こうやって、同居人氏1に話を聞いてもらって、0か100かで決めてしまいそうなところの中間地点を覚えることも、全部、「今のわたしをいじめない」という態度だ。
わたしは、わたしをいじめない。
もうこれ以上、いじめない。
これまでよく頑張ってきたから、多分これからもよく頑張るから、病気になっちゃったけど、この自分をいじめないで、生きてゆこうと、思う。
だから、動けなくても、大丈夫。
動けなかったら、休めばいい。
休んで元気になったら、動き出せばいい。
焦らない。比べない。大丈夫、大丈夫。
お父さんとお母さん、同居人氏からもらったまほうのことばで、わたしはまた、自分に優しくすることができた。
まほうのことば、忘れないようにしよう。
焦らない。比べない。大丈夫、大丈夫。