ぬくぬく日記

ぬくぬく生きていきたい。双極性障害Ⅱ型、不安障害があります。障害者雇用で働いています。

雨の日曜日に振り替える(日記90)

雨がざあざあ降っている。
さっきまではやんでいたのに、今では、朝からずっと降っていますよ、というような顔で、降っている。


部屋干ししようと思って洗濯をして、よっこらしょと干していたら、同居人氏1が、


今晴れてるし!大丈夫だよ!外に干しちゃおう!
もし雨が降ってきてもわたしすぐ気が付けるから、任せて!


というので、ああ、そう?と、部屋干ししたものをベランダにつるしてゆく同居人氏1を見届けていた、今朝。


わたしはうとうとして、同居人氏2ももぐもぐ何かを食べており、同居人氏1も動画を楽しんでいたところだったから、誰ひとり、雨に気が付かなかった。

ふと気が付くと、外は大粒の雨。
ぎゃっ!
と同居人氏1が短く悲鳴をあげて、洗濯物を取り込む。
同居人氏2は爆笑しながら、それを手伝う。
わたしはねむくてねむくて、動けなくて、ふたりの笑い声を聞きながら、いつのまにか眠っていた。


今週は、久しぶりに、調子が悪くなった。
調子が悪くなって就労移行支援をお休みするのは、いつ以来だろう、という感じだ。
正確には、金曜の通所を休んで、土曜日、支援員さんと面談をするためだけに通所するという、「振替」というやつなのだけれども、とにもかくにも、調子が悪くて家を出ることをためらう、家から出られないというのは、久しぶりだった。



木曜日の午前中から、なんかおかしかった。
木曜日はグループワークの日で、テーマに沿ってそれぞれ考えて、意見を発表しあい、最後に、グループのまとめとして意見を総括して、全体の前で発表する、という流れなのだけれども、グループワークの途中から、なんだか猛烈に「疲れて」しまった。

あれ、なんだろう。
すごく疲れた。
もうやりたくないな。
もう誰の話も聞きたくないな。
もう帰ってしまいたい。


そんな自分の言葉が頭をチラチラして、目の前の方の話に集中できなくて、すごく困った。


困ったのだけれども、それ以上ひどくなることはなかったから、その日はなんとかやり過ごして、夜だって早めに眠って、疲労をこれ以上感じることがないように、自分なりに自分を労わって、眠った。


でも金曜日の朝、起きて真っ先に思ったのは、


あれ、今日、就労移行支援行きたくないな。
だった。


行きたくないけれども、休むのはちがう気がして、でも休みたくて、とりあえず顔を洗おう、とりあえずごはんを食べよう、とりあえず着替えてみよう、とりあえず顔を整えよう、とりあえず髪を整えよう、とりあえず持っていくものを準備しよう、と、とりあえず、とりあえず、と呪文のように唱えながら動いていたら、いつも家を出る時間には、ちゃんと出かける準備が整っていた。


整っていたのだけれども、あと一歩、「家から出る」という行為だけが、どうしてもできない。


家を出る時間まで、のんびりしているリビングの椅子の上で、ぼーっと、ぼーっとしながら、あと10分で家を出なきゃ、あと5分、もう今出なきゃ、今出れば間に合う、今出ればちょっとの遅刻で間に合う、と、考えてるのにからだが動かなくて、結局、ふと、


ああ、こりゃ、今日はだめな日だ。

と、諦めがついた。



支援員さんに電話して、休みたいことを伝える。
土曜日に面談のために通所する約束をして、電話を切った。


そこから、ずーっと、アニメを観た。
同居人氏1おすすめのドラマも、観続けた。
気が付いたら夕方の5時で、同居人氏2も、帰ってきた。


おうおう、今日は調子が悪そうだねえ。


と言われながら、顔は笑っているつもりなのに全然笑っていなくて、感情がどっかに行っちゃって、ただ、うん、としか言えなかった。



どうしてこうなったのか、自分なりに、考えてみていた。
つらい、つらい、という気持ちがそこまで大きくなかったから、今回はとにかく、つかれた、つかれた、もうつかれた、の気持ちが大きかったから、ちょっと理由を振り返って見つけてみようと、思った。


思うに、たぶん、わたしは最近、人とお話しすぎていた。


仲良くお話できる人が増えて、学生の頃にうまくできなかったことの反動なのか、なんだかまるで学校生活のように、休み時間に近くの方とお話したり、仲の良いひととお昼休憩にお話ししたり、放課後も、軽くお茶をしたりして、もちろんプログラムのグループワークでも、発言もするし、まとめ役もして、ずーっと、ずーっと、自分のなかで、コミュニケーションのスイッチが、「ON」の状態だったのだと思う。


そういうこと、ふつうにできるようになったんだな、うれしいな、と思っていたけれど、どうやらわたしは、ひとよりコミュニケーションに疲れを感じやすいタイプで、ひとと話すとき、自然体だと思っているけれどもどこかでスイッチを「ON」にして話しているタイプで、だから、スイッチがずっと「ON」の状態が続くと、いつのまにか少しずつ疲れていて、その疲れが許容量を超えると、急に、「疲れた」「もう誰とも話したくない」「もう動けない」と、なるみたいだった。


スイッチを「OFF」にできるのはおうちに帰ったときだけ、という風にしてしまうと、今までの二の舞で、これまでの人生の二の舞で、日中の活動時間の合間にも、意識してスイッチを「OFF」にできる環境をつくる必要があるのだな、と思った。


そのことを、土曜日、支援員さんに相談してみた。
コミュニケーションはできるし、コミュニケーションできることがうれしいと思っていたけれども、自分には許容量があって、そこを超えてしまうと、突然疲労感が襲ってきてしまい、誰とも話したくなくなってしまうこと、スイッチをONにするようにしてひととコミュニケーションをとっているから、いつのまにか疲れてしまうこと、スイッチをOFFにできるような時間を、日中でも、自分で生み出す練習をしようと思うこと、を、伝えた。


支援員さんは、そこまで振り返ることができるようになったことが、すばらしいと、ほめてくださった。


はじめさんの、全体を見る力、相手を思いやる力は、とても大きな武器です。仕事ではとても役に立つと、わたしはつよく思います。だからこそ、疲れてしまう部分があると思うのですが、今回のように、ご自身で振り返って、対策をたてていけば、これは、すばらしい長所になりますよ、
と、言ってくださった。


まず、自分にできることはなんだろうと考えたときに、ひとまず、座る席を、なるべく教室のはじっこにすることにした。
うちの就労移行支援は、フリーアドレス制なので、だれがどこに座ってもよいのだけれど、何人かで集まって座る席、個人で座れる席があって、月曜日からは、空いていれば、個人で座る席に座ってみようかな、と思う。
みんながたのしくお話している声を、渦中でずっと聞き続けているのも、疲れのひとつだから、すこしだけ距離をとって、わたしはわたしのペースで、スイッチを「OFF」にしていられる時間を、まず作ってみようと思う。
そのうえで、話しかけてくださる方がいれば気持ちよく答えたいし、仲良くしてくれる方とは今までどおりに話したい。
そうやって、折り合いをつけてみたいな、と思う。


自分のnoteを振り返ってみたら、3月に一回調子を崩していて、6月も一回調子を崩していた。どちらも下旬のお話。
今回も、8月下旬に調子を崩したので、2、3か月に一回、下旬ごろに疲れがたまって調子を崩す、という傾向があるのだな、というあらたな発見もあった。


調子を崩しても、ただでは起きないぞ、と、思えてきている。
具合は悪くなるものだから、そのときに、どんな風にしたらすこしだけ楽になるのか、とか、どんな風にしたら、楽になるまでの時間が短くなるのか、とか、そもそもどんな風に過ごしていたら、具合が悪くなる回数を少なくできるのか、とか、どんな風なことが、自分の具合の悪さを引き起こしているかもしれないのか、とか、自分のこと、自分で自由研究しているみたい。


こうやって自由研究しながら生きているほうが、いいな。
泥沼の、何も見えない、くるしさとさみしさにうずくまっている時間は、もう、いいや。
具合が悪くなってもいい。具合悪いままでもいい。
いつか浮上するときがくるから、それまで、その場しのぎでも、何かやろう。そのときにできることを、そのときにやれることを、見つけていこう。